漫画界の巨匠楳図かずお氏が、2024年10月28日に胃がんのため88歳で永眠されました。
その訃報は2024年11月5日に発表され、多くのファンや関係者に衝撃を与えています。
本記事では、ホラー漫画の第一人者として知られる楳図氏の生涯と、最期まで衰えることのなかった創作への情熱についてお伝えします。
驚くべきことに、楳図氏は亡くなる直前の10月2日に、26年ぶりとなる新作漫画の制作を発表していました。
また、独自の健康管理法や「まことちゃんハウス」として知られる赤と白のボーダー柄の自宅、そして生涯独身を貫いた孤高の生き様など、その波乱に富んだ人生についても詳しくご紹介します。
- 88歳の漫画家・楳図かずおが胃がんで死去、訃報は2024年11月5日に発表
- 直前の10月2日に26年ぶりとなる新作漫画の制作を発表するなど、最期まで創作意欲は衰えず
- 昨年まで「病気ゼロ」を豪語、独自の食事法で健康管理を実践
- 赤と白のボーダー柄の「まことちゃんハウス」に住み、生涯独身を貫いた孤高の生涯
楳図かずおが胃がんで死去、88歳
2024年11月5日、漫画界の巨匠・楳図かずお氏が10月28日に亡くなったことが発表されました。
死因は胃がんで、88歳でした。
2024年10月28日午後3時40分に永眠
- 死亡日時: 2024年10月28日午後3時40分
- 死因: 胃がん
- 享年: 88歳
訃報は11月5日に発表されましたが、楳図氏が亡くなったのは10月28日の午後3時40分でした。
88年の生涯を閉じた直接の死因は胃がんだったとのことです。
新作発表から1ヶ月後の悲報
楳図氏の死去は、まさに晩年まで衰えを見せなかった創作意欲の表れとも言える、新作発表からわずか1ヶ月後の出来事でした。
2024年10月2日、楳図氏は26年ぶりとなる新作漫画の制作を発表したばかりでした。
88歳という高齢ながら、最後まで創作への情熱を失わなかった証左と言えるでしょう。
しかし、その矢先の10月28日、胃がんにより88年の生涯を閉じることとなりました。
新作発表から1ヶ月足らずでの突然の訃報は、多くのファンや関係者に衝撃を与えています。
昨年まで「病気ゼロ」と豪語!独自の健康管理法とは
楳図氏は昨年のインタビューで、「病気ゼロ」を豪語していたことが明らかになっています。
88歳まで元気に過ごせた秘訣は、独自の健康管理法にあったようです。
食べ物への「復讐」を考えた驚きの食事法
- 食事の考え方: 「食べられたものの復讐」を意識
- 食事ルール: 同じ食べ物は1週間空けて食べる
- 効果: このルールで病気知らずだったと証言
楳図氏の食事法の根底にあったのは、「食べられたものからの復讐」という独特の考え方でした。
動物や植物を食べることは、彼らにとっては本意ではないはず。
だから、どこかで「復讐」されるに違いないと考えていたのです。
この「復讐」を避けるため、楳図氏は「1回食べたら、同じものは1週間たつまで食べない」というルールを実践。
1週間も空ければ、食べ物の「復讐心」も消えるだろうと考えていました。
驚くべきことに、楳図氏は「このルールで、病気は一度もなったことがない」と豪語。
食事への独自の哲学が、88歳まで健康を維持する秘訣だったのかもしれません。
20代の不眠症がきっかけで健康に目覚める
- 不眠症の時期: 23〜27歳の間
- 睡眠時間: 2時間ほどしか眠れなかった
- きっかけ: 当時の主治医が農薬の危険性を指摘
23歳から27歳までの間、楳図氏は1日2時間ほどしか眠れない重度の不眠症に悩まされていました。
きっかけは、診察を受けた医師が食品の農薬の危険性について言及したこと。
この医師の指摘がきっかけとなり、楳図氏は食べ物への意識を高めるようになったそうです。
不眠症を機に健康管理の重要性に目覚め、独自の食事法を編み出すに至ったのでしょう。
結果的に、この経験が晩年まで健康を保つ礎となったと言えます。
若い頃の苦難が、かえって健康への関心を高める転機になったのかもしれません。
ホラー漫画の第一人者が歩んだ軌跡
楳図かずお氏は、ホラー漫画の第一人者として知られる伝説的存在でした。
55年に及ぶ漫画家人生の中で、数々の名作を生み出し、ジャンルの枠を超えて多くの読者を魅了し続けました。
1955年デビューから27年の空白期間まで
楳図かずおプロフィール | |
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本名 | 楳図一雄(うめず かずお) |
生年月日 | 1936年9月3日 |
出生地 | 和歌山県伊都郡高野町 |
育った場所 | 奈良県五條市 |
デビュー年 | 1955年 |
デビュー作 | 『森の兄妹』(トモブック社) |
代表作 | 『漂流教室』『まことちゃん』『わたしは真悟』など |
楳図氏は1936年、和歌山県伊都郡高野町に生まれ、奈良県五條市で育ちました。
1955年、19歳の時に貸本漫画『森の兄妹』でデビュー。
以降、「週刊少年サンデー」などに次々と作品を発表し、人気作家となります。
代表作には、『漂流教室』『まことちゃん』『わたしは真悟』など。
ホラーからSF、ギャグまで幅広いジャンルで才能を発揮し、独自の世界観で読者を魅了し続けました。
しかし1995年、『14歳』を最後に長期の休筆期間に入ります。
腱鞘炎の悪化などが理由とされ、実に27年もの間、新作の発表はありませんでした。
休筆の真相!腱鞘炎と編集者との確執
- 休筆の理由1: 長年の執筆による腱鞘炎の悪化
- 休筆の理由2: 『14歳』連載時の編集者とのトラブル
- トラブルの内容: 新人編集者から手の描き方を注意され精神的に疲弊
休筆の表向きの理由は、長年の執筆による腱鞘炎の悪化でした。
しかし、もう一つの大きな理由が、『14歳』連載時の編集者とのトラブルだったのです。
ある新人編集者から、「手はこう描くんですよ」などと、持ってきた絵を見せられて描き方を注意されたことがあったそうです。
この出来事で楳図氏は精神的に大きく疲弊。
『14歳』を最後に漫画を描くのをやめようと決意したと述べています。
創作へのプライドを持つ漫画家にとって、編集者からの不用意な言動は致命的なダメージになりかねません。
楳図氏の長期休筆は、心身両面の疲弊が重なった結果だったのかもしれません。
この27年間、楳図氏は漫画家としての活動を休止。
代わりに、タレントとしてテレビ出演するなど、別の道を歩んでいました。
しかし2022年、ついに沈黙を破る出来事が起こるのです。
最晩年も衰えぬ創作意欲!88歳の挑戦
27年の休筆を経て、楳図氏が再び漫画家としての活動を再開したのは、88歳になってからのことでした。
最晩年に見せた驚くべき創作意欲は、漫画界のレジェンドならではの矜持の表れだったのかもしれません。
27年ぶりの新作で魅せた新境地
- 連載誌: 「芸術新潮」(新潮社)
- 連載開始: 2022年2月号から
- 内容: 『わたしは真悟』の続編的作品
2022年、楳図氏は27年ぶりとなる新作の連載を開始しました。
タイトルは『ZOKU-SHINGO 小さなロボット シンゴ美術館』。
この新作は、40年前の代表作『わたしは真悟』の続編的な内容。
デジタル社会への警鐘を鳴らし続けてきた楳図氏らしい問題提起と、円熟した画力が注目を集めました。
88歳にして連載を開始するという驚くべき決断。
しかも、かつての名作の続編という大胆な試みです。
まさに、漫画家人生の集大成とも言える作品に挑んだのでした。
わずか2年足らずでこの世を去ることになるとは、おそらく楳図氏自身も予期していなかったでしょう。
最後の連載は、まるで後世へのメッセージのようにも感じられます。
手塚治虫文化賞特別賞に込められた評価
楳図氏の功績は、日本国内だけでなく、海外でも高く評価されていました。
2018年、楳図氏の代表作『わたしは真悟』がフランスのアングレーム国際漫画祭で「遺産賞」を受賞。
日本人作家としては、手塚治虫、白土三平に次ぐ3人目の快挙でした。
また2023年には、日本漫画界の最高峰たる手塚治虫文化賞の特別賞を受賞。
長年の功績が、改めて日本国内でも評価される形となりました。
特別賞の選考理由は「最後まで表現者として新たな挑戦を続けた」点が挙げられています。
まさに、最晩年まで創作意欲を失わなかった楳図氏の姿勢が、高く評価された結果だと言えるでしょう。
赤と白のボーダー!独身貫いた奇才の素顔
鬼才・楳図かずお氏の素顔は、一般にはあまり知られていません。
生涯独身を貫き、95年以降は関係者以外との接点を極力避けて暮らしていたようです。
吉祥寺のまことちゃんハウスと近隣騒動
- 所在地: 東京都武蔵野市吉祥寺南町
- 特徴: 赤と白のボーダー柄の外壁
- トラブル: 2007年、外壁デザインを巡って近隣住民とトラブルに
「まことちゃんハウス」は、漫画『まことちゃん』の主人公をモチーフにした赤と白のボーダー柄が特徴的。
しかしこのデザインが、2007年に近隣住民とのトラブルに発展します。
「景観を損ねる」として、住民2名から外壁の塗装差し止めを求める仮処分申請が出されたのです。
結局、裁判所はこの請求を却下。
楳図氏は自宅のデザインを守り抜きました。
独特の美的センスの表れとも言える「まことちゃんハウス」。
その一方で、周囲の理解を得にくい面もあったようです。
結婚歴なく関係者のみで執り行われた最期
- 家族関係: 7つ下の弟がいるが独身を貫く
- 交友関係: 95年以降は関係者以外との接点を極力避けるように
- 葬儀: 関係者のみで済ませたと報道
楳図氏には7歳下の弟がいますが、結婚はせず生涯独身を貫きました。
また、95年の休筆以降は、関係者以外との接点を極力避けて暮らしていたようです。
そして訃報によると、葬儀も関係者のみで静かに執り行われたとのこと。
公私ともに、ある種の「孤高」を貫き通した人生だったのかもしれません。
一方で、作品を通して多くの読者に夢を与え続けたのも事実。
独自の世界観と美学を持ち、それを貫き通す姿勢は、ファンにとって魅力的だったに違いありません。
物言わぬ行動で「漫画道」を貫いたレジェンドの生き様は、後世に語り継がれるべき一つの物語と言えるでしょう。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
まとめ:漫画界の巨匠・楳図かずおの生涯と最期について
- 2024年10月28日午後3時40分、胃がんにより88歳で永眠
- 訃報は2024年11月5日に発表され、関係者のみで葬儀を執り行う
- 死去の約1ヶ月前の10月2日に26年ぶりの新作漫画を発表
- 1955年19歳でデビュー、『漂流教室』『まことちゃん』などの代表作を残す
- 1995年から27年間の長期休筆、その背景には腱鞘炎と編集者との確執
- 2022年、『ZOKU-SHINGO』で27年ぶりに漫画家活動を再開
- 2023年に手塚治虫文化賞特別賞を受賞し、最晩年まで表現者として挑戦
- 独自の食事法で健康管理を実践し、昨年まで「病気ゼロ」を誇る
- 20代の不眠症がきっかけで健康管理に目覚め、独自の哲学を確立
- 吉祥寺の赤と白のボーダー柄「まことちゃんハウス」で知られる
- 生涯独身を貫き、95年以降は関係者以外との接点を極力避ける
- フランスのアングレーム国際漫画祭で「遺産賞」を受賞し国際的評価を得る
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