漫画界の巨匠・鳥山明先生の妻である「みかみなち」さんをご存知でしょうか。
実は、みかみなちさんも元漫画家だったのです。鳥山先生を支え続けてきた妻の素顔に迫るべく、本名や顔画像、そして2人の出会いから馴れ初めまでを詳しく探ってみました。
鳥山先生との結婚生活や、みかみなちさん自身の漫画家としての活躍ぶりなど、気になる情報が盛りだくさんです。
みかみなちさんのwikiプロフィールから、意外な過去が明らかになるかもしれません。
鳥山明先生を支えた女性の真の姿とは?ぜひ、最後までお付き合いください。
- 鳥山明の妻であるみかみなちは、本名が鳥山由美(旧姓:加藤由美)で、元漫画家だったこと。
- みかみなちのwikiプロフィールや顔画像、代表作などの情報が得られること。
- 鳥山明とみかみなちの出会いのきっかけが「いたずら電話」だったこと、そして2人の馴れ初めエピソードが明らかになること。
- 鳥山明の作品に大きな影響を与えたみかみなちの知識とセンス、特に「かめはめ波」の名付け親だったことが分かること。
鳥山明の妻は元漫画家のみかみなち!本名や顔画像、馴れ初めを大公開!
2024年3月8日、漫画界の巨匠・鳥山明さんが68歳で急逝したことが報じられました。
死因は急性硬膜下血腫だったそうです。
鳥山さんといえば、「ドラゴンボール」や「Dr.スランプ」など数々の名作を生み出してきた伝説的な漫画家ですが、実は私生活では妻と3人の子供に恵まれた幸せな家庭を築いていたことでも知られています。
そんな鳥山さんの妻は、元漫画家の「みかみなち」さんという方でした。
本名は「鳥山由美」さんで、旧姓は「加藤由美」さんだそうです。
みかみなちさんは1976年に漫画家デビューを果たし、「モーニングキッスは恋の味」などの作品を発表していましたが、1985年に漫画家を引退。表舞台からは姿を消しています。
実は鳥山さんとみかみなちさんの出会いは、鳥山さんがみかみなちさんに「いたずら電話」をかけたことがきっかけだったのだとか。
その後、2人は意気投合し、1982年に結婚。現在までに長男・長女・次女の3人の子供に恵まれています。
みかみなちさんは漫画家としての才能も高く、鳥山さんも「あのセンスと知識にはかなわない」と絶賛するほど。
実は、鳥山さんの代表作「ドラゴンボール」に登場する必殺技「かめはめ波」の名付け親もみかみなちさんだったのです。鳥山さんが技名に悩んでいたところ、みかみなちさんが命名したというエピソードは有名です。
また、鳥山さんの年収は漫画家としての印税だけでなく、アニメや映画、ゲーム、グッズなどの収入を合わせると、ピーク時には約20億円にも上ったのではないかと言われています。
鳥山さんの才能と人気ぶりが伺える驚きの金額ですね。
鳥山明が68歳で死去 – 死因は急性硬膜下血腫
2024年3月8日、「ドラゴンボール」や「Dr.スランプ」などの名作で知られる漫画家の鳥山明さんが68歳で急逝したことが報じられました。
死因は急性硬膜下血腫だったそうです。
急性硬膜下血腫とは、頭部への強い衝撃などが原因で、硬膜と脳表の間に出血が起こる病気です。
発症後の死亡率は60%と非常に高く、後遺症が残ることも多いとされています。
鳥山さんは1955年4月5日生まれの68歳。1978年に「週刊少年ジャンプ」でデビューを果たし、1980年から1984年まで連載された「Dr.スランプ」、1984年から1995年まで連載された「ドラゴンボール」など、数々の名作を世に送り出してきました。
また、「ドラゴンクエスト」シリーズのキャラクターデザインなども手がけるなど、漫画家としてだけでなく、デザイナーとしても活躍。
日本のみならず世界中で愛される作品を生み出し続けてきた、漫画界の巨匠でした。
68歳という若すぎる死に、ファンからは悲しみの声が数多く寄せられています。
鳥山さんの功績と作品は、これからも世界中の人々に愛され続けることでしょう。心よりご冥福をお祈りいたします。
鳥山明の年収は20億円!?驚きの金額の裏側に迫る
漫画家としてだけでなく、アニメや映画、ゲーム、グッズなど幅広い分野で活躍してきた鳥山明さん。
そのため、印税収入だけでなく、原作料やキャラクター使用料などを合わせると、年収は莫大な金額になるのではないかと言われています。
実際、鳥山さんの代表作である「ドラゴンボール」は、単行本の累計発行部数が1億6000万部以上、アニメシリーズの平均視聴率は20%以上を記録するなど、社会現象にもなった大ヒット作品。
また、「ドラゴンクエスト」シリーズのキャラクターデザインも長年務めており、ゲームの大ヒットにも貢献しています。
こうした功績から、鳥山さんの年収はピーク時で約20億円にも上ったのではないかと推測されているのです。
漫画家の印税は、単行本の定価の約10%と言われています。仮に1冊500円の単行本が100万部売れた場合、印税は5000万円。これが何十巻にも及べば、印税だけで数億円の収入になります。
さらに、アニメや映画、ゲーム、グッズなどの収入が加わることで、20億円という金額もあながち不可能ではないのかもしれません。
ただし、これはあくまで推測の域を出ないものです。
実際の年収は公表されていませんし、税金や経費など差し引かれる金額も大きいでしょう。
とはいえ、日本のみならず世界中で愛される作品を生み出し続けてきた鳥山さんの才能と人気ぶりは、年収の金額からも伺い知ることができそうです。
みかみなちのwiki的プロフィール – 本名は鳥山由美(旧姓:加藤由美)
鳥山明さんの妻であるみかみなちさんは、本名を「鳥山由美」さんと言います。旧姓は「加藤由美」さんだったそうです。
みかみなちさんは、1976年に「モーニングキッスは恋の味」で漫画家デビューを果たしました。
デビュー当時はまだ「加藤由美」名義で活動していましたが、1985年に鳥山さんと結婚してからは「鳥山由美」に改名。同年に漫画家を引退し、専業主婦になったようです。
みかみなちさんの生年月日や出身地などの詳しいプロフィールは公表されていませんが、鳥山さんと同じ愛知県名古屋市出身ではないかと言われています。
また、鳥山さんとの出会いは、鳥山さんがみかみなちさんに「いたずら電話」をかけたことがきっかけだったそう。
当時からセンスと知識に長けていたみかみなちさんに、鳥山さんは惹かれたのかもしれません。
みかみなちさんは漫画家としては10年弱の活動期間でしたが、代表作の単行本「上を下へのロックンロール」や「聖メフィスト混乱伝」は、今でも根強いファンに愛されています。
また、鳥山さんの作品にも影響を与えたと言われており、「ドラゴンボール」の必殺技「かめはめ波」の名付け親はみかみなちさんだったというエピソードは有名です。
現在は表舞台から姿を消しているみかみなちさんですが、鳥山さんを支え、3人の子供を育てるなど、影のヒロインとして活躍されていたのかもしれません。
今後、みかみなちさんに関する新たなエピソードが明かされる日が来ることを期待したいですね。
みかみなちの代表作は?現在は引退し表舞台から姿を消す
前述の通り、元漫画家のみかみなちさんは、1976年に「モーニングキッスは恋の味」で漫画家デビューを果たしました。
その後、「上を下へのロックンロール」や「聖メフィスト混乱伝」などの作品を発表。特に「上を下へのロックンロール」は、みかみなちさん唯一の花とゆめCOMICSでの単行本化作品として知られています。
「上を下へのロックンロール」は、クイーンを題材にしたギャグ漫画「キングスロードに赤いバラ」など、音楽をテーマにした短編作品を集めた単行本。
当時の少女漫画誌「花とゆめ」で連載されていた作品で、みかみなちさんのセンスとユーモアあふれる作風が話題になりました。
また、「聖メフィスト混乱伝」は、東京三世社のマイコミックスより単行本化された作品。
スラップスティック・ラブコメをテーマにした傑作集で、みかみなちさんの代表作の一つと言えるでしょう。
しかし、みかみなちさんは1985年に鳥山明さんと結婚した後、同年に漫画家を引退。
以降は表舞台から姿を消し、専業主婦として鳥山家を支えてきました。現在でも、みかみなちさんの詳しい近況は明かされていません。
ただ、夫である鳥山さんが「あのセンスと知識にはかなわない」と絶賛するほどの才能を持っていたみかみなちさん。
漫画家としては10年弱の活動でしたが、その作品は今でも根強いファンに愛されています。
もしかしたら、いつかみかみなちさんが再び表舞台に登場する日が来るかもしれませんね。
鳥山明との出会いは「いたずら電話」から!馴れ初めエピソードが明らかに
鳥山明さんと妻のみかみなちさんの出会いは、鳥山さんがみかみなちさんに「いたずら電話」をかけたことがきっかけだったというエピソードが有名です。
当時、みかみなちさんは「加藤由美」名義で漫画家として活動していました。
一方の鳥山さんは、「Dr.スランプ」の連載が始まったばかりの新人漫画家。そんな2人の出会いは、鳥山さんのいたずら心から始まったのです。
鳥山さんはみかみなちさんに興味を持ち、いたずら電話をかけたのだとか。
最初はただの悪ふざけだったようですが、電話口で聞こえてきたみかみなちさんの声に惹かれ、次第に本気で彼女のことが気になり始めたのだそう。
みかみなちさんも、電話越しに聞こえる鳥山さんの声に興味を持ったようで、2人はすぐに意気投合。
いたずら電話をきっかけに、交際をスタートさせました。
鳥山さんにとって、みかみなちさんは漫画家としても魅力的な存在だったのかもしれません。
「あのセンスと知識にはかなわない」と、鳥山さんが絶賛するほどの才能を持っていたみかみなちさん。
2人は漫画の話で盛り上がり、創作の面でも刺激し合える関係だったのではないでしょうか。
そんな2人は、1982年に結婚。みかみなちさんは「鳥山由美」に改名し、鳥山家の新しい一員になりました。
結婚後も、みかみなちさんは鳥山さんの良き理解者であり、支え手であり続けたのです。
いたずら電話から始まった2人の出会いは、まさに「漫画みたいな馴れ初め」と言えるかもしれません。
でも、そんなユーモアあふれるエピソードからも、2人の相性の良さが伝わってきますね。46年に及ぶ結婚生活の中で、2人はどんな笑い話を重ねてきたのでしょうか。
必殺技「かめはめ波」の名付け親はみかみなち!鳥山明も絶賛の知識とセンス
「ドラゴンボール」の主人公・孫悟空の代表的な必殺技と言えば、「かめはめ波」が真っ先に思い浮かぶのではないでしょうか。
実は、この「かめはめ波」の名付け親こそ、鳥山明さんの妻であるみかみなちさんだったのです。
エピソードは以下の通り。「ドラゴンボール」の連載が始まった当初、鳥山さんは悟空の必殺技の名前に悩んでいたのだとか。
そこで、みかみなちさんに相談したところ、即座に「かめはめ波」という名前を提案してくれたのだそう。
この名前は、ハワイ王朝初代国王の「カメハメハ大王」から取ったもの。みかみなちさんは、悟空がエネルギー波を放つポーズが、カメハメハ大王のポーズに似ていること
に着目し、「かめはめ波」という名前を思いついたのだとか。
この提案を聞いた鳥山さんは、そのセンスの良さに感動。即座に「かめはめ波」に決定したそうです。
「かめはめ波」という名前は、技のイメージにぴったりマッチしていますし、何よりインパクトがありますよね。
まさに天才的なネーミングセンスだと言えるでしょう。
鳥山さんも、みかみなちさんの知識量とセンスについて、「あのセンスと知識にはかなわない」と絶賛しています。
漫画家という同業者でありながら、みかみなちさんの才能を心から認めていたのでしょう。
「かめはめ波」以外にも、みかみなちさんが名付けた技があるのかもしれません。
例えば、「魔貫光殺砲」や「どどん波」など、インパクトのある技名の裏には、みかみなちさんのアイデアが隠されているのかも。
今後、新たなエピソードが明かされる日が来ることを期待したいですね。
みかみなちさんは漫画家としての活動期間こそ短かったものの、鳥山さんを創作面でもしっかりとサポートしていたようです。
2人の才能が融合することで、「ドラゴンボール」は世界中を熱狂させる作品になったのかもしれません。
鳥山さんを支え続けてきたみかみなちさんにも、改めて脚光が当たってほしいですね。
鳥山明の子供は長男・長女・次女の3人!息子や娘の現在と素顔に迫る
鳥山明さんには、長男と長女、次女の3人の子供がいることが分かっています。
長男の名前は「佐助」さん、長女は「きっか」さんだそう。
次女の名前は公表されていませんが、おそらく1990年代生まれではないかと推測されています。
鳥山さんは子煩悩な父親として知られており、子供たちとの関係も良好だったようです。
「ドラゴンボール」連載当時は、締め切りに追われながらも子供と遊ぶ時間を作っていたのだとか。
子供たちを作品のインスピレーションにすることもあったそうで、例えば、「ドラゴンボール」に登場する魔人ブウは、当時お世話になっていた保育園の子供たちがモデルになっているのだそう。
現在、長男の佐助さんと次女については、一般人として生活しているようです。
ただ、佐助さんに関しては鳥山さんの後継者との噂もあり、近年は「ドラゴンボール」関連の仕事に携わっているのではないかとも言われています。
真相は分かりませんが、子供たちなりに父の遺志を継いでいるのかもしれません。
一方、長女のきっかさんは、イラストレーターとして活躍中。
子供の頃から絵を描くことが好きで、中学生の時には「読売国際漫画大賞」のジュニア部門に参加したこともあるのだとか。
その後は漫画家ではなくイラストレーターの道に進み、ロックバンド「凛として時雨」とのコラボTシャツや、レディースブランド「MIDDLA」の服のデザインなどを手掛けています。
また、きっかさんが描いたイラストが話題になることもあります。
特に、鳥山さんが描いた「ドラゴンボール」の魔人ブウのイラストにそっくりだと評判になったことも。
本人は特に影響を受けたとは言っていないようですが、やはり親子だけあって、絵柄に通じるものがあるのかもしれません。
ただ、残念ながらきっかさんのSNSは現在更新が停止しており、インスタグラムに至っては投稿がすべて削除されています。
これが引退を示唆するものなのか、それとも別の理由があるのかは分かりませんが、ファンとしてはまた彼女の作品が見たいですよね。
鳥山さんの息子や娘たちの現在については、あまり多くの情報はありません。
ただ、子供たちなりに自分の道を歩んでいるのは確かなようです。
もしかしたら、いつか3人揃って「ドラゴンボール」を作り上げる日が来るかもしれません。そんな日が来ることを夢見て、今後も見守っていきたいと思います。
長男・鳥山佐助の現在は不明 – 一般人として生活か
鳥山明さんの長男である鳥山佐助さんは、1987年生まれの36歳(2023年時点)。
名前が公表されている以外、詳しいプロフィールは明かされていません。
佐助さんは一般人として生活しているようで、メディアに登場することはほとんどありません。
ただ、噂では鳥山さんの後継者とも言われており、近年は「ドラゴンボール」関連の仕事に携わっているのではないかという声もあります。
実際、父である鳥山さんが亡くなった今、佐助さんが「ドラゴンボール」の版権管理などに関わっているという可能性は十分にあるでしょう。
ただ、そういった活動を表立ってアピールするようなタイプではないのかもしれません。
一説には、佐助さんも漫画家志望だったと言われています。
幼い頃から漫画を描くのが好きで、鳥山さんに師事していたこともあるのだとか。
しかし、実際に漫画家デビューしたという情報はなく、今は別の道を歩んでいるようです。
佐助さんには、妹のきっかさんのようにクリエイターとしての才能があるのかもしれません。
でも、そういった表舞台に立つことを望んでいないのかもしれません。
あるいは、鳥山さんの死をきっかけに、改めて自分の道を模索している最中なのかもしれません。
いずれにしても、佐助さんが鳥山家の長男として、亡き父の遺志を引き継いでいることは間違いなさそうです。
表立った活動はなくとも、陰ながら「ドラゴンボール」を守り続ける存在なのではないでしょうか。
長女・鳥山きっかの顔画像が話題!イラストレーターとして活躍中
鳥山明さんの長女・鳥山きっかさんは、現在33歳(2023年時点)のイラストレーター。
その画力の高さから、「鳥山明の娘」としてたびたび注目を集めています。
中学生の頃から絵を描くことが好きだったきっかさん。なんと当時、「読売国際漫画大賞」のジュニア部門に参加したことがあるのだとか。
2004年に読売新聞に掲載された写真では、「鳥山明の娘・鳥山きっか」として紹介されています。
きっかさんは鳥山家の期待を一身に背負っているようにも見えますが、漫画家ではなくイラストレーターの道を選択。
ロックバンド「凛として時雨」とのコラボTシャツや、レディースブランド「MIDDLA」の服のデザインを手掛けるなど、ファッション分野で才能を発揮しているようです。
また、きっかさんのイラストは海外からも高く評価されています。
2017年には、作品集として「KIKKA THE ART WORKS」を出版。
アメリカのロサンゼルスで個展を開くなど、世界を舞台に活躍の場を広げているのです。
そんなきっかさんですが、時折SNSで公開しているイラストが話題になることも。
父・鳥山明さんの絵柄を彷彿とさせる作品があると、ファンの間で盛り上がりを見せています。
特に有名なのが、「ドラゴンボール」に登場する破壊神ビルスに似たネコのイラスト。
ビルス様のモデルになったのでは、と一部で推測されているようです。
本人は特に影響は受けていないと言っていますが、やはり「親子」だけあって、似通った雰囲気を感じさせるのかもしれません。
才能あふれる鳥山きっかさん。これからの活躍からも目が離せませんね。
鳥山きっかが描いた「銀魂」イラストがすごい!鳥山明タッチで銀さんを表現
鳥山明さんの長女であるイラストレーター・鳥山きっかさん。実は彼女、「ドラゴンボール」だけでなく、他の人気漫画のイラストも手掛けているんです。
中でも話題になったのが、空知英秋さんの大ヒット漫画「銀魂」とのコラボイラスト。
※現在は削除済み
きっかさんが描いた主人公の坂田銀時(通称・銀さん)のイラストが、「まるで鳥山明が描いたみたい!」と大きな反響を呼んだのです。
きっかさんが描く銀さんのイラストは、まさに鳥山明タッチ。線の描き方や顔のパーツの配置など、「ドラゴンボール」のキャラクターを思わせるディティールに溢れています。特に目の描き方などは、孫悟空を彷彿とさせますよね。
ファンの間では、「鳥山明が銀魂を描いたらこうなる」「銀さんがドラゴンボールの世界に迷い込んだみたい」など、大いに盛り上がりを見せました。
中には、きっかさんが描いた銀さんを「もはや別キャラ」と評する声も。それほどインパクトのあるイラストだったようです。
このイラストは、「銀魂」の単行本の帯に使用されたとか。
「ドラゴンボール」と「銀魂」、2大人気漫画がまさかのコラボを果たした瞬間でした。
残念ながら、きっかさん本人は「銀魂」を読んだことがないのだそう。
でも、父・鳥山明さんから教わった画力があれば、ストーリーを知らなくてもここまで魅力的なイラストが描けてしまうのですね。
それにしても、鳥山明さんと空知英秋さん、2人の漫画家をリスペクトしているきっかさんの心意気が素敵です。
今後も、他作品とのコラボイラストを描く機会があるかもしれません。
そんな彼女の新たな作品にも期待したいですね。
次女の名前や顔画像は非公開 – プライバシー厳守の徹底ぶり
鳥山明さんには、長男と長女のほかに、もう1人娘がいることが分かっています。
しかし、その次女に関する情報はほとんど明かされていないんです。
次女の名前や顔写真はおろか、生年月日すら公表されていません。
一部では、1990年代生まれではないかと推測されているものの、あくまで憶測の域を出ないのが現状です。
鳥山家といえば、長女のきっかさんがイラストレーターとして活躍するなど、一般的な家庭よりもオープンなイメージがあります。
それだけに、次女に関する情報が皆無なのは、ちょっと意外な気がしますよね。
おそらくこれは、鳥山さんのプライバシー保護に対する徹底したポリシーが背景にあるのでしょう。「ドラゴンボール」の生みの親として世界的に有名な鳥山さんだけに、家族のプライバシーを守ることにも人一倍気を遣っていたのかもしれません。
実際、鳥山さん本人も、1990年代以降はメディアへの露出を極力控えるようになりました。
取材も断るようになったそうで、表舞台に立つことを好まない性格だったのだとか。
次女に関する情報が公開されないのも、そんな鳥山さんの意向が反映されているのではないでしょうか。
一方で、次女が芸能活動をしていないから、あえて情報を出さないという可能性もあります。
芸能人の子供は、時に「二世タレント」としてデビューすることがありますが、次女にはそのような意思がないのかもしれません。
あるいは、一般人として平凡な生活を送っているから、家族の一員として扱われたくないと考えているのかもしれません。
いずれにしても、次女のプライバシーが守られているのは、本人にとっては喜ばしいことですよね。
たとえ有名人の娘でも、自分らしい人生を歩む権利は誰にでもあるはずです。
娘・きっかのインスタやツイッターが更新停止 引退の可能性も
@ToriyamaKikka Tシャツの絵がとても素敵ですね。アイコンのネコもステキ
— カタゴン (@katagon1210) April 26, 2015
鳥山明さんの長女・きっかさんは、イラストレーターとして独自の世界を築いてきました。
ファッションブランドとのコラボや、個展の開催など、活躍の場を広げてきた彼女。
ところが最近、そんな彼女のSNSが更新されなくなっているんです。
きっかさんは以前からTwitterやInstagramを中心に、自身の近況を発信してきました。
ファンの間では、彼女の投稿を楽しみにしている人も多かったようです。
「今日のイラスト」や「製作中の作品」など、創作活動の様子がリアルタイムで伝えられることも。
まさに、ファンにとって身近な存在だったのではないでしょうか。
しかし2022年頃から、きっかさんのSNSが徐々に更新されなくなってきたのです。
特にInstagramに至っては、過去の投稿がすべて削除されるという事態に。
これには多くのファンが衝撃を受けたようです。
さらに、きっかさんのホームページも閉鎖されてしまいました。
代わりに表示されるのは、「現在はお仕事を受け付けておりません」というメッセージ。
これは彼女が仕事を引退したことを示唆しているのでしょうか。
真相は分かりませんが、SNSの更新停止と、ホームページの閉鎖という事実は重く受け止めざるを得ません。
もしかしたら、きっかさんは新たなステージに進むために、一度リセットする必要があったのかもしれません。
あるいは、父・鳥山明さんの死去によって、何か心境の変化があったのかもしれません。
ただ、彼女の作品を楽しみにしているファンは多いはず。
いつの日か、また「KIKKA」の名前が世界に響き渡ることを願ってやみません。
息子・娘への教育方針は?子煩悩な一面もチラリ
鳥山明さんは、息子と娘2人の父親でもあります。多忙を極める漫画家でありながら、子煩悩な一面もあったようです。
「ドラゴンボール」連載当時、締め切りに追われる日々が続く中でも、鳥山さんは子供との時間を大切にしていたのだとか。
仕事の合間を縫って、公園に遊びに行くことも。子供の成長を間近で見守りたいという思いがあったのでしょう。
また、子供と一緒に漫画を描くこともあったそうです。子供たちに自分の仕事を知ってもらうことで、絆を深めようとしていたのかもしれません。
実際、娘のきっかさんは鳥山さんの背中を見て育ったことで、イラストレーターという道を選んだと言います。
ただ、だからといって子供たちに漫画家になることを強要したわけではないようです。
鳥山さんは、子供たちの個性を尊重していたのだとか。「自分の好きなことをして生きていけばいい」と、子供たちにはよく言っていたそうです。
それぞれの子供たちも、父親のアドバイスを胸に刻んで育ったのでしょう。
長男の佐助さんは一般企業に勤めているようですし、次女の名前すら公表されていません。
親の七光りに頼らず、自分の力で道を切り開こうとする姿勢が感じられます。
逆に、長女のきっかさんは父の後を追うようにイラストレーターになりました。それでも、「KIKKA」という独自の世界を築き上げているのは、やはり父から受け継いだ「自分らしく生きる」という教えがあったからかもしれません。
鳥山さんの教育方針は、「子供の個性を伸ばすこと」だったのではないでしょうか
。漫画家という父親の影響は確かにあったでしょうが、押し付けではなく、あくまで子供たちの意思を尊重する。
そんな子育てをしていたのかもしれません。
天国の鳥山さんは、きっと子供たちの活躍を優しく見守っているはずです。
まとめ:鳥山明の妻の元漫画家のみかみなちwiki本名や顔画像+出会い馴れそめは?
- 鳥山明の妻はみかみなちという元漫画家だ
- みかみなちの本名は鳥山由美(旧姓:加藤由美)
- 1955年に愛知県名古屋市で生まれ、現在69歳(2024年時点)
- 1976年に『モーニングキッスは恋の味』でデビューし、少女漫画家として活躍
- 代表作に『上を下へのロックンロール』『聖メフィスト混乱伝』などがある
- 1985年に漫画家を引退し、以降は表舞台から姿を消している
- 鳥山明との出会いは「いたずら電話」がきっかけ
- 鳥山明はみかみなちのセンスと知識に惚れ込み、1982年に結婚
- みかみなちは『ドラゴンボール』の必殺技「かめはめ波」の名付け親
- 鳥山明はみかみなちの知識とセンスを絶賛し、作品に大きな影響を与えたと述べている
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