今回は、警察庁長官狙撃事件を取り上げます。
2023年3月20日、犯人に協力したという元自衛官男性49歳が出てきました。
果たして、この男性はどのような人物なのでしょうか?
警察庁長官狙撃事件、加害者で実行犯が逮捕されなかった|ニュース概要
この事件は1995年3月30日に発生し、当時の警察庁長官であった國松孝次さんが何者かに狙撃された事件です。
事件は未解決のまま、15年の公訴時効を迎えた2010年に終結しました。
そこから10年後の2023年3月20日、警察庁長官狙撃事件での元自衛官の関与に関する新たな情報が報じられました。
最新の報道によると、元男性自衛官49歳(当時21歳)が狙撃事件の実行犯に協力したという新たな証言が出たとされています。
また、この元自衛官は事件当時、事情聴取で犯人に関する証言を行っているとのことです。
この元自衛官が挙げた「実行犯」とされる中村泰(やすし)が捜査の対象になっているとも報じられています。
なぜ、中村泰は逮捕されなかったのでしょうか?
中村泰が逮捕されなかった理由はオウム真理教と警視庁
中村泰は、2001年~2002年に大阪市と名古屋市で発生した現金輸送車襲撃事件で逮捕され、職務質問してきた警察官を射殺し、強盗殺人未遂罪で無期懲役が確定していました(約18年で仮釈放)。
なんと、取り調べの中で中村泰が「警察庁長官狙撃事件の実行犯が自分である」と犯行を自供したのです。
しかし、立件には至らず、当時の殺人未遂罪の公訴時効(15年)を迎えました。
また、特命捜査班によると、狙撃事件の犯行に使われた拳銃と同型の銃を受刑者が1987年に米国で購入していたことが、判明しました。
ここまで裏付けが取れているにもかかわらず、中村泰が逮捕されなかった理由はなんなのでしょうか?
事件は、オウム真理教の信者による地下鉄サリン事件(1995年3月20日)から10日後に発生しました。
警視庁は公安部主体の捜査本部を設置し、教団による組織的テロとみて捜査を進めました。
捜査1課を中心とした刑事部は、中村泰受刑者の関与を疑いました。
「支援者がいた」とも供述していた中村泰。
中村とオウム真理教の間には接点がなく、オウム真理教の犯行にしたかった捜査本部は、中村泰逮捕の条件として、「支援者の特定」を条件にしました。
実は、警視庁の特命捜査班が事件の時効約1カ月前の2010年2月から複数回、参考人として事情聴取した元自衛官の男性がいます。
「事件当日、知人の逃走を手伝ってしまった」と取材で証言しました。
男性は当時の聴取に事件への関与を否定していましたが、2022年の春以降、新聞の取材に応じる中で、真実を話しました。
元自衛官男性49歳(事件当時21歳)の顔画像や名前は?中村泰の支援役は何した?人間関係は?
男性は高校中退後に自衛隊に入隊しましたが、10ヶ月で辞めました。
1993年に旅行で米国へ旅行。
ロサンゼルスで中村泰と知り合い、帰国後も交流を続けました。
1995年3月30日事件当日に、中村から5万円で運転を手伝うよう頼まれました。
その後、軽乗用車で現場から約700メートル離れた駐車場に移動しました。
受刑者は約1時間後に車に戻ってきました。
犯行当時、中村から犯行のことは聞かされていなかったとのことです。
その後、男性は中村受刑者から長官狙撃の件を聞かされました。
取材でも改めて自分はオウム真理教とは関係がないと証言しています。
元自衛官男性49歳は受刑者との手紙のやり取りを続け、2020年8月に受刑者からの手紙の写しを記者に見せました。
当時の中村はパーキンソン病と白内障が進行していたようで、
男性は当時21歳で、「アルバイト感覚で引き受けた。長官狙撃事件の片棒を担がされたなら引き受けなかった」と振り返っています。
- 1朝、中村受刑者とJR西日暮里駅で合流、5万円を受領
- 2中村受刑者が運転する車でNTT荒川支店へ移動
- 3NTT荒川支店駐車場で中村受刑者が降車
- 4約1時間後に戻った中村受刑者を乗せてJR西日暮里駅に送る(夜に新宿で中村受刑者と再会し、車の鍵を返す)
- ※24の詳しいルートは本人の記憶なし
取材した記事を読むと、中村泰に犯罪に加担させられただけの一般人だけに見えます。
既に時効ですし、事実上の共犯者とはいえ、本人が顔出ししない限り、自衛官男性の素性が明かされることはないでしょう。
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