1990年12月、福岡県田川郡赤池町で発生した衝撃的な保険金殺人事件。
当初は無理心中と思われていた事件でしたが、被害者の一人に1億円の保険金がかけられていたことから、警察は保険金目的の殺人事件として捜査を開始しました。
事件から34年が経過した今もなお、私たちの記憶に深く刻まれているこの凄惨な事件の犯人が、益田千栄という女性でした。
この記事では、平凡な女子高生から凶悪犯罪者へと変貌を遂げた益田千栄の素顔や生い立ちに迫ります。
また、共犯者との歪んだ関係性や9年に及ぶ逃亡生活、そして事件によって深く傷ついた遺族や関係者たちの悲痛な声についても詳しく解説していきます。
- 益田千栄の生い立ちと、名門T高校時代の目立たない女子高生から凶悪犯罪者へと変貌するまでの経緯
- 共犯者・小田義勝との出会いから、1億円の保険金を狙った殺人計画の全容
- 事件後の9年間に及ぶ逃亡生活と、売春で稼いだ東京での日々
- 益田千栄の出頭から無期懲役判決、そして事件が残した深い傷跡
赤池町保険金殺人事件の衝撃的な真実
1990年12月28日、福岡県田川郡赤池町の総合運動公園駐車場で、全焼した乗用車の中から男女2人の遺体が発見されました。
当初は無理心中とみられていましたが、女性の蔭西生代さん(当時20歳)に1億円の保険金がかけられていたことが判明し、保険金目的の殺人事件として捜査が開始されました。
容疑者として浮上したのは、蔭西さんの勤務先「マスダ宝石」の経営者・小田義勝(当時42歳)と、雇われ社長の益田千栄(当時20歳)でした。
2人は東京に逃亡しましたが、1993年に小田が強盗未遂で逮捕され、2000年4月に益田が出頭。
冷酷非情な保険金殺人の全容が明らかになりました。
事件から34年が経過した今なお、私たちに大きな衝撃を与え続けるこの事件。
犯人の益田千栄とはいったいどのような人物だったのでしょうか。
そして、彼女を犯罪に駆り立てた背景には何があったのでしょうか。
本記事では、事件の詳細や裁判の経緯とともに、益田千栄の素顔に迫ります。
益田千栄はどんな人物?気になる素顔に迫る
一見、平凡な女性に見えた益田千栄。
しかし、彼女の内面には、凶悪な犯罪に手を染めるに至った複雑な事情が隠されていました。
ここでは、益田の生い立ちや高校時代のエピソードを通して、その素顔に迫ってみましょう。
T高校時代の意外な素顔
益田千栄は、福岡県内の名門校であるT高校の家政科に在籍していました。
同級生の証言によると、益田は目立たない存在で、陰にいるようなタイプだったそうです。
- 学業成績: 特に優秀というわけではなく、ごく平均的な成績だった
- 教師との関係: 大人しい性格で、先生方からも目立った印象はなかった
- 友人関係: 親しい友人は少なく、クラスでも目立たない存在だった
高校卒業後、益田は定職に就かず、小田義勝が経営する「マスダ宝石」にアルバイト従業員として入社します。
この出会いが、彼女の人生を大きく狂わせることになったのです。
実家は裕福な家庭?謎多き生い立ち
益田千栄の実家は、広い庭と高い塀に囲まれた立派な和風邸宅でした。
外見からは裕福な家庭環境がうかがえますが、彼女の生い立ちには謎が多いのが特徴です。
- 家族構成: 両親と兄弟の情報は公開されておらず、詳細は不明
- 経済状況: 邸宅から推測する限り、金銭的な困窮はなかったと思われる
- 家庭環境: 両親との関係性など、益田の幼少期の詳細は明らかになっていない
一般的に、裕福な家庭環境は子供の健全な成長に寄与するものですが、益田の場合はそれだけでは説明がつかない複雑な背景があったのかもしれません。
彼女を犯罪に駆り立てた真の原因は、未だ謎に包まれています。
「目立たない存在」から凶悪犯罪者へ
高校時代に「陰にいるような存在」だった益田千栄が、なぜ凶悪な保険金殺人事件の犯人となってしまったのでしょうか。
その転換点となったのが、小田義勝との出会いでした。
- 人生の転機: 高校卒業後、小田義勝の会社にアルバイトとして入社したことが運命の分岐点に
- 犯罪者との関係: 前科者である小田に心酔し、言いなりになってしまった
- 内面の変化: 小田との交際を通して、次第に良心が麻痺していった可能性がある
誰もが予想だにしなかった凶悪犯への変貌。
その背景には、小田義勝という「悪」の存在が大きな影響を与えていたのです。
次の章では、益田を犯罪に引きずり込んだ小田との関係について、詳しく見ていきましょう。
小田義勝との出会いが人生を狂わせた理由
益田千栄の人生を一変させた小田義勝との出会い。
20歳という多感な時期に、前科者である小田と関わったことで、益田は凶悪犯罪への道を歩むことになりました。
ここでは、2人の出会いから保険金殺人に至るまでの経緯を追っていきます。
20歳で雇われ社長に…マスダ宝石の闇
高校卒業後、益田千栄は小田義勝が経営する「マスダ宝石」にアルバイト従業員として入社しました。
しかし、実態は単なる宝石店ではなく、保険金詐欺を企てるためのペーパーカンパニーだったのです。
- 会社設立の目的: 小田は保険金詐欺を目的に「マスダ宝石」を設立した
- 益田の役割: 入社早々、小田に雇われ社長に据えられ、社名も「益田」の姓を使用
- 不自然な人事: 経験も知識もない20歳の女性を社長に任命するのは不自然
小田は自らの犯罪歴を隠すため、表向きは益田を社長に据えましたが、会社の実権は小田が握っていました。
若く世間知らずだった益田は、小田の巧みな話術に惑わされ、犯罪に加担させられていったのです。
小田との恋愛関係と支配の構図
益田千栄は、雇われ社長になってまもなく小田義勝と交際を始めました。
しかし、それは対等な恋愛関係ではなく、小田による一方的な支配の構図だったと言えます。
- 歪んだ関係性: 小田は益田を洗脳し、言いなりにすることで支配下に置いた
- 精神的な圧力: 常に小田の意のままに動くことを強要され、益田は精神的に追い詰められた
- 逃れられない状況: 小田への恐怖心から、益田は自ら関係を断ち切ることができなかった
小田は巧みに益田の心を掌握し、自らの犯行計画に巻き込んでいったのです。
支配された益田は、小田の指示通りに動くことしかできませんでした。
そして、2人の歪んだ関係は、やがて凄惨な事件を引き起こすことになります。
保険金殺人の詳細と残虐な手口
小田義勝と益田千栄による保険金殺人事件。
その残忍な犯行の全容が明らかになったのは、益田が出頭した2000年4月のことでした。
ここでは、1億円の保険金を狙った犯行計画の詳細と、クリスマスに行われた凄惨な殺人の手口について解説します。
1億円の保険金を狙った計画の全容
小田義勝は、火災保険金詐欺の手口を応用し、より大金が得られる保険金殺人を企てました。
手口の概要は以下の通りです。
- 標的の選定: 「マスダ宝石」の女性従業員と、テレクラで知り合った男性を狙う
- 高額保険への加入: 従業員の蔭西生代さんに、死亡保険金1億円の保険を掛ける
- 犯行の偽装工作: 殺害後、テレクラの男性に罪をなすりつけ、無理心中に見せかける
入社早々、蔭西さんには多額の保険がかけられました。
受取人は益田千栄でしたが、実際に保険金を手にするのは小田義勝のはずでした。
一方、事件の犯人に仕立て上げられる男性は、何も知らずに2人に利用されることになります。
クリスマスの日に起きた悲惨な出来事
1990年12月25日、小田義勝と益田千栄は保険金殺人計画を実行に移しました。
クリスマスという祝日を選んだのは、世間の目を欺くためだったのかもしれません。
- 標的の誘い出し:益田は従業員の蔭西さんを、小田はテレクラで知り合った白石健さんを呼び出した
- 凄惨な殺害: 2人は別々の場所で、果物ナイフや包丁で残忍に刺殺された
- 犯行の偽装: 白石さんには遺書を書かせ、無理心中を装って遺体を車で燃やした
事件直後、小田と益田は何食わぬ顔で過ごし、益田は被害者の供養にも顔を出すという、信じがたい非道ぶりを見せました。
そして、2人はほどなくして東京へ逃亡。
9年間もの逃亡生活を送ることになります。
逃亡生活9年間の足取り
保険金殺人の犯行後、小田義勝と益田千栄は東京に逃亡しました。
2人は窃盗や売春で生活費を稼ぎながら、警察の追及から逃れ続けます。
ここでは、9年間に及ぶ逃亡生活の実態に迫ります。
売春で稼いだ東京での日々
東京に身を隠した小田と益田。生活費を稼ぐため、小田は空き巣などの窃盗を繰り返し、益田はテレクラを利用した売春で収入を得ていました。
- 逃亡資金の獲得: 犯罪行為や売春によって、逃亡生活の資金を得ていた
- 東京での足取り: 主に東京23区内を転々としながら、目立たないように生活していた
- 警戒心の強さ: 常に警察の追及を警戒し、人目を避けるように行動していた
逃亡生活は決して楽なものではありませんでしたが、2人は警察から逃れることに必死でした。
しかし、1993年11月、ついに小田義勝が強盗未遂で逮捕されます。
小田逮捕後も続いた逃亡の果て
小田義勝が逮捕された後も、益田千栄は東京での逃亡生活を続けました。
1人になった益田は、風俗店で働くなどしながら各地を転々とします。
- 孤独な逃亡生活: 小田の逮捕後、1人で逃亡を続けることの困難さと孤独感に苛まれる
- 各地を転々: 東京、神奈川、埼玉など関東圏の風俗店で働きながら、行方をくらませる
- 逮捕への恐怖: いつ警察に捕まるかわからないという恐怖と不安に怯える日々だった
益田は小田の死刑判決が確定した2000年3月まで、9年以上もの間、逃亡生活を続けました。
しかし、潜伏先で自殺を図った後、覚悟を決めて福岡県警に出頭。
ついに逮捕され、裁判で罪を償うことになります。
福岡県警への出頭と裁判の行方
9年間の逃亡生活の末、益田千栄は2000年4月29日、福岡県警田川警察署に出頭しました。
ここでは、益田の出頭から裁判の過程、そして共犯の小田義勝の最期について解説します。
死刑が確定した小田義勝の最期
1996年に再逮捕された小田義勝は、福岡地裁で保険金殺人の罪に問われました。
裁判では、犯行の多くを黙秘する一方、益田千栄については生存を認める供述をしています。
小田義勝 略歴 | |
---|---|
1996年2月20日 | 福岡県警に再逮捕 |
1996年2月28日 | 福岡地検に起訴 |
2000年3月15日 | 福岡地裁で死刑判決 |
2000年3月30日 | 控訴を取り下げ、死刑確定 |
2007年4月27日 | 死刑執行(59歳没) |
小田は2000年3月、福岡地裁で死刑判決を受け、自ら控訴を取り下げたことで死刑が確定。
2007年4月27日、死刑が執行されました。
益田千栄に下された無期懲役判決
一方、逃亡していた益田千栄は、小田の死刑確定を機に自首を決意。
事件から9年以上が経過した2000年4月29日、福岡県警に出頭しました。
益田千栄 略歴 | |
---|---|
2000年4月29日 | 福岡県警田川警察署に出頭、逮捕 |
2002年1月28日 | 福岡地裁の論告求刑公判で無期懲役を求刑 |
2002年6月27日 | 福岡地裁で無期懲役判決 |
2002年7月 | 控訴せず、無期懲役が確定 |
益田は保険金殺人の全容を供述。
2002年6月、福岡地裁で無期懲役の判決を受け、控訴しなかったため、そのまま刑が確定しました。
現在も服役中です。
事件が残した深い傷跡
福岡・赤池町の保険金殺人事件は、2人の若者の尊い命を奪っただけでなく、遺族をはじめ多くの人々に深い傷を残しました。
ここでは、事件の影響を受けたT高校の対応と、遺族の心情について触れます。
T高校家政科閉科の衝撃
益田千栄の出身校であるT高校は、事件の発覚を受けて大きな衝撃を受けました。
伝統校としての名誉を重んじる学校側は、事件との関連を懸念し、家政科の存続を断念したのです。
- 募集停止: 1991年の家政科募集を中止し、在校生のみで存続させた
- 閉科の決定: 1993年3月、最後の在校生が卒業したことで、家政科は閉科となった
- 決定の背景: 事件を起こした卒業生の存在が、閉科の大きな要因になったと見られている
事件とT高校の関連性は明言されていませんが、学校側の決定には事件が影響したことは間違いありません。
伝統校の沽券にかけた苦渋の判断だったと言えるでしょう。
遺族と関係者の悲痛な声
事件から34年が経過した現在も、犠牲となった2人の無念さは癒えることがありません。
遺族の心の傷は、時間が経っても決して消えることはないのです。
- 白石さんの両親: 裁判で「絶対に許せない。息子を返してほしい」と悲痛な心情を吐露
- 蔭西さんの遺族: 「こんな結果になるとは夢にも思わなかった」と絶望の淵に
- 同級生の証言: 事件後、登校拒否になったり、精神的なダメージを負った生徒もいた
最後まで読んでいただきありがとうございました。
まとめ:福岡・赤池町保険金殺人事件の全容と犯人について
- 1990年12月、福岡県で1億円の保険金を狙った殺人事件が発生
- 犯人は20歳の益田千栄と42歳の小田義勝の2名
- 益田は名門T高校出身で目立たない性格の女子高生だった
- マスダ宝石で雇われ社長となり、小田と保険金殺人を企てる
- 被害者は女性従業員の蔭西生代と白石健の2名
- クリスマスの日に無理心中を装って2人を殺害
- 事件後、益田と小田は東京へ逃亡し9年間も潜伏
- 小田は1993年に強盗未遂で逮捕され、後に死刑が確定
- 益田は2000年に自首し、無期懲役判決を受ける
- 事件の影響でT高校家政科が閉科に追い込まれる
- 遺族や関係者に深い心の傷を残した凄惨な事件
- 事件から34年経過した現在も人々の記憶に残る衝撃的な事件
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