2023年3月16日、Twitterにて、大食い女王でタレントの「菅原初代」さんが3月9日に死亡していたことが判明しました。
死因は大腸がんで、年齢は59歳でした。
今回は、菅原初代さんの若い頃の話、発達障害の息子、モラハラ夫との結婚・離婚など、これまでの経歴やプロフィールを振り返ります。
菅原初代のwiki経歴やプロフィール
大食いフードファイターの魔女、菅原初代さんは表舞台で輝かしい活躍をしましたが、プライベートでは苦労が絶えず、壮絶な人生を送っていたようです。
一体どのような苦労があったのでしょうか?
以下は、菅原初代さんのプロフィールを表にまとめたものです。
菅原初代の家族(両親や祖母、弟)|幼少期や高校・大学時代
菅原初代さんは、板金工をしている祖父と祖母、大工として働いている父親と母親、そして弟の6人家族で育ちました。
家にはなぜかご飯茶碗がなく、家族みんなで丼に入ったご飯を食べていたそうです。
幼い頃の朝食は具だくさんの味噌汁と白米、漬物が定番で、味噌汁の出汁のために入っていた煮干しも具の一つとして好きだった菅原さん。
家族みんなの分までもらって食べていました。
また、両親からは出されたものを「喰え、余計なことは言うな」と言われて育ったため、友人たちが食べ物の好き嫌いがあるのを見て、「何をわがまま言っているんだろう」と思っていたそうです。
そんな菅原さんはある日、友人宅に泊まった時、朝食に目玉焼きが出てきてとても驚いたといいます。
自宅では朝からおかずが出るなんていう贅沢はありえなく、夕飯のおかずも少なかったため、その代わりに履く前をたくさん食べていたのです。
そんな環境で育った菅原さんは、「大会でいっぱい食べることができるのは親の厳しい教育のおかげで、何を食べても美味しい」って感じられるんですと話しています。
岩手県立水沢高校卒業後は山形県立米沢女子短期大学に進学しました。
菅原さんは当時、図書館司書になりたいと思っており、短大では図書館研究会に所属しました。
研究会では子供に絵本の読み聞かせをする活動がありましたが、当時子供が苦手だった菅原さんはどう接していいかわからず、読み聞かせがつらかったと明かしています。
大学卒業後の職歴|図書館司書(公務員)→実家に戻り眼鏡店で働く
その後、図書館試験に合格し、大学卒業後は公務員として福島県にある高校で図書館司書として働いていました。
しかし、5年間公務員として働き一人暮らしにも疲れてきた時期に祖母が他界してしまいます。
祖母との別れを機に体の弱かった母親が倒れてしまったため、菅原さんは仕事を辞めて実家に戻り、眼鏡店で働き始めました。
大食いフードファイターとしてのきっかけになった全日本わんこそば選手権
そんな中、20007年に青森県で開催された全日本わんこそば選手権に初出場し、15分間で340杯ものわんこそばを平らげ、初優勝します。
この時に生まれて初めて満腹感を味わったといい、これまではお腹が減っていない状態のことを満腹だと思っていたそうです。
元祖大食い王決定戦に出場し一躍有名に
わんこそば選手権をきっかけに、菅原さんはその後、数多くの大食い番組に出演し、圧倒的な強さでフードファイターとして活躍し始めました。
2008年にハワイで開催された「元祖大食い王決定戦」では、ギャル曽根さんを破り優勝し、さらに同番組の女王戦で3連覇を果たしました。
顔色を変えずに、ステーキ5.6kgやラーメン27杯を平らげる姿が人気を博しました。
2019年には、バラエティ番組「水曜日のダウンタウン」で「クイズ」と「大食い」を掛け合わせた対決が行われ、菅原さんは高い記述力を披露しました。
実は、漢字能力検定準1級を持っており、大食い外の能力を披露して話題になりました。
2020年に放送されたテレビ東京の「最強大食い王決定戦」でも、男女混合戦にもかかわらず準優勝という快挙を成し遂げ、女性では首位を獲得しています。
舞台女優にも挑戦
同年、舞台に出演することも決まり、本人役の魔女・菅原を演じました。
一般人男性と結婚+ADHDで発達障害の息子を出産
菅原さんは1998年に35歳の時に、6歳年上の一般企業に勤める男性と結婚しました。
本が好きという共通点で交際に発展したそうです。
結婚後は夫の転勤で青森県に移住し、2002年に息子を出産しました。
菅原さんは意外にも太りやすい体質でしたが、息子を妊娠中から太りにくい体質になったそうです。
菅原さんは息子がADHDという発達障がいを持っていることを告白しました。
公園デビューの頃に初めて息子に違和感を持ったと話し、当時を振り返って「ずっと笑顔のまま、よその子の側に入って突き飛ばしてしまう」そうです。
息子が一方的に相手を押し倒してしまうため、親に謝ることしかできない。
公園に行っても他の子に砂をかけてしまうので、誰もいない公園を探し歩いたと語っている。
息子が4歳のときに専門医によってADHDと診断された。
幼い頃は朝から晩まで息子から目が離せず、スーパーで豚ひき肉を指につけて口に入れてしまったこともあるという。
息子自身も自分の生涯について理解しており、「僕が1伸びてる間に周りの人は10伸びる」と話している。
母親である菅原さんも病院での治療をしながら、症状と向き合って生活している。
結婚生活|旦那・夫のモラハラが理由や原因で離婚
しかし、その後、夫のモラルハラスメントが原因で離婚している。
暴言がひどく、夫が言うことは絶対に聞かなければならない。
朝6時に朝食、夜6時に夕食を必ず出さないとキレるなど、縛られた生活の中で夫に怯えながら暮らしていたことを明かしています。
さらに、夫は息子の発達障害を認めることができなかったのです。
自分の分身だと思っている息子の発達障害を認めてしまうと、自分自身が否定されてしまうという思いから、決して認めなかったそうです。
菅原さんは、そんな結婚生活のストレスで突発難聴やアルコールの大量摂取、睡眠障害などに襲われていました。
離婚後は、息子の発達障害としっかり向き合うために、病院や教育環境の整った岩手県盛岡市に引っ越しています。
別居しても元夫は離婚を認めず、宅配業者を装って、新しい住居まで来て、警察沙汰になったようです。
元夫は既に他界されているようです。
元祖大食いの内情を暴露
「元祖!大食い女王決定戦」は毎年1回は放送されていたにもかかわらず、途中で放送がなくなったことで番組終了が噂されました。
その噂では、番組関係者と大食いファイターの間にトラブルがあったのではと囁かれました。
菅原さんもこの件に関して意見を述べ、注目が集まりました。
自身のツイッターで、「昔の大食い女王戦では、経験の長い魔女の作戦に対し、デビュー間もない対戦相手と比べられることが腑に落ちなかった。経験の少ないのは自分の方だったのに、ナレーションでそう言われるのが嫌だった。今回のナレーションでは、そんな情報操作がなくて精製した。スタッフの総入れ替え万歳!」とつぶやいたのです。
番組では、「もっと出場者たちを見て競っている感じを出してて」と言われていたそうですが、菅原さんは「私は誰とも争っていません」と拒否したこともあったと明かしました。
同番組の常連だった菅原さんですが、長年不満を抱えていたようですね。
パン屋「カンパーニュ」をオープン
菅原さんは2016年に盛岡市上田にて、自家製天然酵母を使ったパン屋「カンパーニュ」をオープンさせました。
菅原さんが経営するパン屋は地元ではとても有名で、連日多くの人が訪れているそうです。
趣味でパン作りをしていた菅原さんは、簡単なものから本格的なものまで研究を重ね続けてきたといいます。
作ったパンを友人たちに食べてもらい、おいしいと喜んでもらえたことが店を開くきっかけとなりました。
そして、パンシェルジュ1級という資格を取り、念願だった自身のお店を開いたのです。
オープン時には息子も大きくなった今、ようやく自分の時間ができて今のタイミングしかないと決心しました。
菅原さんは、「パンのおいしさを伝えて、こんなパン今まで食べたことないって思ってもらうパンを提供したい」と話しています。
天然酵母は時間が経つと味に変化が出てくるそうです。
看板メニューのカンパーニュはとても大きくてボリュームがあり、時間をおいても新たな味になって楽しめるといいます。
完売することが多い人気店だったようで、岩手県の銀行のCMにも使われたようです。
2022年6月に大腸がんのステージ4であることを公表し、自身が営むカンパーニュを閉店することを発表しました
「魔女」という異名を持つ元祖大食い女王の菅原初代さんは、波瀾万丈な人生だったようです。
世間の反応
えっショックです…息子が盛岡にいるので、お店(パン屋さん「カンパーニュ」)前を通るたびに、いつか寄ろうねと言っていたのに…
本当に、やりたいことは今すぐやらなければだめですね。初代さんが、やりたいことをやれた人生であった事を陰ながら祈ります。🥲
キャラも素敵で応援してましたが、大腸がんと聞くとやはり食べた量との因果関係を考えてしまいます。多分常人の一生分の何倍もの食べ物が大腸を通ったのでしょう。ご冥福をお祈り致します。
かなりショックな訃報です。
元気にバラエティ番組でてるイメージしかない、闘病されていたとは。。。
いつも笑顔で色んな企画に参加されてたし、息子さんやパン屋さん開業のエピソードを記事で読んでからは、素敵で意志の強い方と魅力を再認識しました。
ご冥福をお祈りいたします。
え?!ついこの前までTV等で活躍されてたのにホンマにビックリ!!
身体に負荷がかかる職業ってのもあって早くなったのかもね。
視聴者側は大変楽しませてもらったひとりです。
ご冥福をお祈りします
たしかオーガニック系のパン屋さんを始めたばかりだったように記憶しています。
大喰いというタレント的なお仕事の方が、オーガニック? と思っていましたが、病がそういう思考を導かれたのかなと。本当に楽しく食べられていたような記憶なので、こんなにも早く召されるのは悲しい限りです。合掌。
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